紹介
霊光クルビ(干しイシモチ)とは?
霊光グルビを知るためには、先にイシモチについて知らなければならない。
何故なら、 グルビはイシモチを塩漬けして乾燥させたものだからである。
イシモチ類は全て淡水魚科に属し、韓国の沿岸で獲れるものは5属13種におよぶというが、霊光グルビは新鮮なイシモチだけを加工する。
このイシモチ(石首魚)は頭の中に固い骨があるためだ。
産卵のために東シナ海域から楸子島と黒山島海域を経て、西海岸に回遊するイシモチが、3月(旧暦)中旬の穀雨(4月20日頃)の頃、七山の沖を通る時に最も卵が充実しており、黄金色のツヤがあり、この時に獲れたイシモチを加工・乾燥させたものを霊光グルビ(イシモチ)という。
霊光クルビ(干しイシモチ)の由来
高麗時代から由来し、東シナ海域で越冬したイシモチが解氷期になると産卵するために延坪島に北上する途中、霊光の法聖浦の近海である七山沖で4月10日から30日の間に産卵するため、卵が入って味がよく、大量に獲れ、この時のイシモチが霊光グルビの本来の味を出しています。
霊光グルビは昔から王様のお膳に一番に上がる法聖浦生産の特産品である。
「グルビ」という名前で呼ばれるようになったのは、高麗16代睿宗の時、李資謙は彼の娘の順徳を王妃として、その子である仁宗をして王位を継承させた。そして、仁宗にも3女と4女を嫁に送り、重複した姻戚関係を結び、権勢を1人占めにし、密かに王になろうという野心を抱くようになった。
その後、崔思全が李資謙の一党である拓俊京を買収して逮捕した後、霊光の法聖浦に流罪に処した。彼は流罪地で日乾しのイシモチを食べ、ついに七山海でとったイシモチを塩漬けして進上し、決して自分の過ちを許してもらうためのへつらいではなく、意志を曲げないという意味でグルビ(屈非)(日乾しイシモチのハングル名)と命名した。
その時から、霊光グルビは王様のお膳料理として進上され、宮殿から霊光グルビが名物として登場し、脚光を浴びるようになった。


















