
Home
- > 文化観光 >
- 文化史跡地
- 靈光鄕校(地方有形文化財 第125號)
鄕典に寄ると高麗の恭愍王(1315∼1374)時,創建されて大成殿と明倫堂,東齋,西齋があるし,東門·西門そして外三門などがある.
- 辛鎬俊家屋(地方民俗資料 第26號)
寧越 辛氏家の靈光入鄕は朝鮮初期婦人と彼の息子サグのチョヒャンという因緣を土臺にしてなったし,壬亂期を前後にして,ソンゼ 辛ウンスン(1572∼1636年)とウンマン(1595∼1654年)を排出して著名になった家門であるし,1600年に建てられた母屋など11棟と數百年になる映山紅がある.
- 虹橋(地方文化財資料 第190號)
朝鮮成宗の時,我が文學史上の歌辭作品の初作品である賞春曲を書いた不憂軒 丁克仁が斥佛した功を記念するために,死後16年になる年(1497年)に建立したと傳えてきてるし,1728年に補修して現在まで 保存されている.
- 壬辰守城祠
壬辰倭亂(1592)の當時,郡守不在の狀況で地域士人(昔の學者)をはじめとして故鄕を離れた士人(昔の學者)たちが靈光の守城防衛と戰亂克服に命を捧げた(壬辰守城錄:地方文化財資料 第201).その愛國衷情の精神を譽め稱える祠堂である.
- 石チャンスン(石像)(地方文化財資料 第191號)
堂山の木の下にある三つのチャンスンは,朝鮮祖純祖の時,立てられて素直に笑っている祖父の姿チャンスンとしかめている姿の祖母のチャンスン,円筒形で小さくて荒らく作られた子ともチャンスンがある.
- 旌烈閣(地方記念物 第22號)
丁酉再亂の時,倭敵(昔の日本軍)の侮辱を逃れるために白岫邑大新里ムクバン浦で殉節した密陽朴氏婦人を旌閭するために建てた木造建物である.
- 李奎憲家屋(地方民俗資料 第22號)
全州李氏のヤンド公派の宗家であるし,李天祐外に四人を配享していて,1616年に建てた建物で壬辰倭亂の時,靈光守城將李應鍾の生家であるし,守城計策を立てた義兵廳でもある.肅宗の時,李サンホの孝誠を譽め稱えた孝子旌烈門,三間ソスル大門,中門,サランチェ,母屋に構成されている.
- 李天祐影幀及びイウンド木版 (地方文化財資料 第146號)
李天祐は,(1354∼1417)朝鮮太祖李成桂の兄李元桂の息子で少し左側を見る姿と官服の左·右が開いた表現が高麗と朝鮮初期功臣影幀の樣式を持っている.影幀とイウンド木版は,太宗が下賜したもの現存している繪は1936年に李ゾンウォンが描いたものである.
- 民俗遺物館(農業技術センタ-)
消えて行く民俗遺物を保存するために,農業技術センタ-內に900余点の耕す器具,收穫·貯藏器具·運搬器具など農耕遺物と生活遺品·遺物などを用途別に區分展示している.
- 延安金氏の宗宅(重要民俗資料 第234號)
朝鮮時代の後期(1868年)ヤンバン(昔の貴族)家建築物の規模とその配置などを知ることができる地方上流家屋の代表的な遺例として,住宅構造と生活樣式を硏究する貴重な資料になっている.三孝門,母屋など10棟と大門部が2層になっている.
- 雪梅里石造佛頭像(地方有形文化財 第230號)
郡南面雪梅里のソゴ村の彌勒村に所在した佛頭は,自然石のバウィ(岩)の上に佛頭だけを彫刻して載せた特異な形態を持っているし,ここに來て願い祈ると全てが成就されるという傳說が傳え來ている.
- 烟興寺
14世紀頃,カクジン國師に寄って創建されたし,1597年丁酉再亂の時,燒失された後,17世紀の初に重創したここは,高麗初期の塔片と磨崖佛,そして妙法蓮花經(地方有形文化財 第175)などの高貴な 資料が收集されている
- 三層石塔(寶物 第504號)
直ぐ側に石燈1基と浮圖1基があって,昔から寺地(利興寺)であったことを立證するし,單層基壇に3層石塔で傳統樣式をそのまま,殘している.全體的には雄大な氣像ないが,各浮ことに洗練味があるし,彫刻手法もまた,纖細で安定感をくれるし,當時佛敎文化の盛世を立證出來ることである.
